読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

没個性を称えよ、個性を解放せよ

ベッドに鎮座する人体風の奇怪なオブジェの落書き

今日は国公立大学入試の二次試験で、大学に行くとたくましい知能を備えてそうに見える受験生がたくさんいた。京都大学の二次試験会場には例年謎のパフォーマンスをする集団が現れたり(今年は「京大入試の闇」鬼を豆を撒き倒すという趣旨の狂言があった)、折田先生像という現代アート(?)が設置されていたりする。受験生はヒイコラ言って直前の仕上げをするさなか、大学生はそういう内輪ネタを見て楽しんでいる。悪い大学生だ。

私の高校同期や友人にも京都大学を受験する人がいる。明日まで続くこの試験、最後まで頑張ってほしい。

それはともかく、今朝方大学へ行き上記のようなイベントを確認した私であったが、大学に来たはいいものの図書館の机に着くや否やすぐ眠りこけてしまった。というのも昨晩は徹夜でアニメ・電脳コイルを観ていたからだ。

電脳コイルは私が好む「サイコSF」の一つだ。これは造語なので説明して置くと、私は「精神世界と近未来科学技術が融合する系のSF」の事をサイコSFと呼んでいる。電脳コイルの他には「マトリックス」や「パプリカ」などがある。

電脳コイルは「電脳めがね」(現代で言うところのウェアラブル端末)とその電脳インフラで構成された近未来の世界の不思議と、主人公の2人の少女の個人的な事情の交錯を描いた感じの物語だ。私があらすじ書くとそもそも要約力が皆無なうえに抽象的過ぎて意味がわからないのでアニメ公式サイトを参照されたし。

www.tokuma.jp

登場人物たちの語彙や設定が明らかに年齢と乖離している部分が多々あるが、そこは近未来でSFだからしょうがない。ただ全体を通してみると、ピンチ打開や物語進行のカギとなる「モノ」に関してはご都合主義満載だが、人物の心情にはご都合的な部分はなく、フィクションだと分かっていながらのめりこんでしまう魅力があった。昔も一度見たことはあったが当時小学生の私はイリーガルが怖すぎて全部見れなかった。

 

とまぁ。このアニメを見返してみて、”昔”、近未来的と想像されていたものが最近だともうほぼ実現の域に来てるよなぁと感じた。電脳コイルの作品世界は2020年代で、今は2017年。もうちょっとだ。現在はスマートホンの時代だが、GoogleglassしかりiWatchしかりのウェアラブル端末は実に発展途上にあり、ひょっとすると2020年代には本当に電脳めがねが実現しているかもしれない。

では、その電脳めがねが実現したとして、何ができて何ができないのだろう。物語中に出てきた印象的な眼鏡の用途としては、
・現代のスマホやPCでできること大体を物理デバイスなしに空間に投影できる
・ヴァーチャルのペット
・「電脳物質」をどうこうする
・意識を電脳世界へ持ってく
ことが挙げられる。

上から3つは眼鏡に見えるものをいじればいい話なので可能性は0ではないだろう。
しかし意識を電脳世界にねぇ...うーん...

この問題は初めて電脳コイルを観た時にも考えた。物語内ではあるバグに触れると個人の「電脳体」(めがねを通して見える個人のデータ)が電脳世界に持ってかれてしまい、その時に意識も道連れになってしまうのだが、現実の文脈ではなんか違う気がする。だって、個人データは電脳世界においてあるものだから確かにどっか行ってもおかしくはないけど、個人の意識は肉体に準拠するものなので、それが(持ってかれるほど)デジタルに影響されるとは考えにくい。マトリックスみたいに脳髄に直接プラグ刺さない限りは。

 

まあSF考証を繰り返したところで、(楽しいけど)答えは出てこないからどうしようもない。アインシュタインが「人間が頭で考えることはすべて実現可能」とか言ってたし、ゆっくり技術発展を待ってみよう。そのおこぼれを貰って生きたい。