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ジェヴォチカの欠乏

ベッドに鎮座する人体風の奇怪なオブジェの落書き

歌の力2

大学生活関係

(前回↓)

 

maiden-shortage.hatenablog.com

 

そんなわけで私の嗜好は「非物語的」かつ「歌詞の自由度が高い」楽曲に在るということが先日何となしに行ったカラオケで判明したのだが、私がここから言いたいのは、この嗜好と個人の性格が相関しているのではないかということだ。

 

少し前に書いた通り、私は実生活においてはかなり内向的な性格であり、人間関係は狭く深くということを好むたちである。当然昔(と言っても高校時代程度)からのカラオケ仲間も私から見る限りはそのような性格の人間が多く、楽曲の好みも一致していた。(それはそう)

一方大学になってから新たな人間関係でカラオケに行くと、様々な集団に顔を出し、やや多めのグループ活動を楽しむ外向的なタイプの人は「物語的」だったり、特に「歌詞の自由度が低い(意味がはっきりしている)」楽曲を好む傾向が強い印象を受けた。

ただ、内向的だと思われる人でも自由度が低くかつ物語的な楽曲を好む人もまた見られる。ただ、これらの人々は同じ物語的でも物語の内容がファンタジー的だった。

また、自由度が高い歌詞の中でも用いられる言葉には身近かそうでないかの違いがあり、身近な言葉に解らない意味が付与されるタイプと、そもそも身近でないので意味が解らないタイプが存在する。

だいぶもつれてきたので色々端折ってまとめると、

【外向的な人】
基本的に「歌詞の自由度が低い」楽曲を好む(「物語性が高い」はこれの十分条件であり、必要条件ではない)

【内向的な人】
「歌詞の自由度が高い」楽曲を好む、または「物語性が高い」がその物語は現実性が低い楽曲を好む

※この考察は少なくとも意味が保たれている歌詞を持つ楽曲に関してのものであり、歌詞がワードサラダになっている楽曲は考慮していない。

 

この構造はネットでたまに見る西野カナ叩きに顕れているように思われる。これは「西野カナの楽曲なんてとりあえず好き好き言ってとりあえず会いたければ終わりだろ」という揶揄のようなもので、2ちゃんねるツイッターの所謂サブカル界隈で見られることがある。ネットやサブカル=内向的というのはそういう統計を見たことがないから心もとないのだが、敢えてこの考えに従ってみるなら、この現象は内向者と外向者の価値観の対立だ。

立ち返って考えてみれば、音楽嗜好はそもそも性格の産物なんだから、音楽の好みが性格に関係するのは当たり前の話だ。ただ、今まであまりこういうことは言語化してこなかったので、個人的にはこれからのカラオケで暇つぶしをするいいネタが手に入ったと思っている。

結局自分の話から始まって自分の話に帰結してしまった。これだからコミュ障なのかもしれない。