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没個性を称えよ、個性を解放せよ

ベッドに鎮座する人体風の奇怪なオブジェの落書き

当事者研究

先日サークルで当事者研究というものをやった。

当事者研究とは北海道のとある病院の精神科から始まった、精神疾患者本人やその家族が自らの事について研究するワークショップみたいなものなのだが(詳しくはこちらを参照)、精神疾患者でなくともできる。そういう場合は自分の傾向に「病名」を作ってつけ、あるテーマのもとに他人の考え方を参考にしつつ考えていく。私は「無気力性阿呆症候群」の患者ということにした。

今回のテーマは「メディアに踊らされた経験」だった。水素水だとか青汁だとかの話である。開催した日が2/14だったのでバレンタインの受け止め方から話が始まった。他の班員の内情を書くわけにはいかないので私個人の記録を書く。

私はあまりバレンタインに対して情熱がない。男が女からチョコを貰ったら、1か月後にそれをクッキーなどの形で返す形式的な儀式と捉えている。なので人間関係の理由である程度関心があるように見せているが、面白さがなかったら多分しない。クリスマスに関しても同様の態度である。この類のイベントに関しては私はほとんどメディアの影響を受けていない気がする。おそらくこれは小学から高校まで、そのようなドキドキイベント(?)の日は塾や習い事であまりコミットできないことに一因があると思う。この延長であまり恋愛事にも関心がない。高校時代に形式上の恋愛をしたが、疲れた。冷めの代わりに私は種々のドキドキイベントを友人と遊ぶ口実に使うことが多い。例えば、バレンタインは所謂「非リア」の同級生で固まってカラオケに行く、など。クリスマスは自分で料理を作って恋人がいない友人を誘ってパーティまがいの事をした。以上のような態度は「他人基準」だ、との意見を頂き、なるほど!とも思った。

この次に「君の名は。」の話になって、健康食品の話になったが、どちらからもわかった私に関する結論は、私は根本的に科学信仰者で、自分の手の届く科学ベースの情報にはつられる可能性があるということだった。科学というよりは実証と論理信仰かもしれない。自分でもそういう神経質的?な傾向があることはわかっていたが、どうやら私は自分で思っていた以上に科学信仰者であるようであった。

私のことだけしか書いていないが、当事者研究では上のようなことを考えた。この面白さを今回の記事で一気に文章化するつもりはない。できれば皆さんにもやってほしい。「自分を知る面白さ」に触れる機会になると思う。

自分を知るというのは中々難しいことだが、知ることによって進むことは数多くあるはずだ。