没個性を称えよ、個性を解放せよ

ベッドに鎮座する人体風の奇怪なオブジェの落書き

みたい夢をみる方法

夢に興味がある。将来の夢という言葉に使われる夢ではなく睡眠中の夢の方である。心理学ができる学部に進学した理由の一部もここにある。

 

周知の通り夢とは奇々怪々な世界だ。今読んでいる本に紹介されているのだが、夢は覚醒時の無意味な記憶が削除されるためにいったん視覚イメージとして表出したものに、脳の前頭前野(高度な精神活動を司る部分)が論理やストーリーを後付けしてできたもの、という仮説があるらしい(注:ここはこの本の要約である)。砕いて言えば夢の内容は覚醒時に溜めたゴミデータらしい。

「夢」の認知心理学

「夢」の認知心理学

 

 

この理論は私の経験に大体合致する。夢日記を書いていると、そういえば昨日こんな(些細な)こともあったなぁと思うことは非常によくある。だから私はこの仮説は真であると考える。

こういう夢観を踏まえたうえで私が常日頃考えているのは、このシステムを逆手にとって自分の観たい夢を観る方法のことである。一応私はそれを既に自分の中に確立していて、30%くらいの割合で成功しているので今回はそれを紹介したい。

 

まず前提となるのは、先ほども述べた「夢=ゴミデータ(些細な記憶)」という考え方である。この考えを踏まえると、あるものを夢で見たいなら、覚醒時にそれを「ちょっとだけ」認識するようにすればいい。

すなわちこれを現実の行動に当てはめるなら、一日中行動A(夢で見たいものに関連しない)をする途中、少しの休憩として夢で見たいものBを認識するとよい。ただしこの認識の度合いは、手先でちょちょいというだけではだめで、ちゃんと頭で処理する程度でなければいけない(たぶん「休憩がてらにする」くらいがちょうどいい)。BをしたらまたAに戻るが、この時Bを思い出しながらやらず、Aにどっぷり集中することが大事である。Bをするタイミングは、睡眠2・3時間前が良い。そして、心の中をAの事にした状態で眠る。

『A→A→A→B(休憩がてら)→A(Bを想起しない)→A→就寝』という具合に。

こうすると、その日の保存されるべき記憶はAとなり、Bはゴミデータとして夢に顕れる(かもしれない)。

 

私がこれに気付いたのは、大学のテスト期間における経験による。テスト期間は大体毎日テスト勉強かレポート作成ばかりしていたが、時折あるゲームを休憩がてらにプレイした所、就寝時にはプレイしたこと自体忘れていたのに夢でそのゲームの関連情報が現れた経験、そしてそれに類する経験が複数回あった。この経験に加えて、大学の心理学の授業で聞きかじった記憶の知識を以てこの方法を思いついた。

 

しかし、ここまで読んで頂いた方にはわかるかと思うが、この方法を意図的に使いこなすことはかなり難しい。多分この方法を認識している時点で、休憩にさしはさむBの意味を認識したまま眠ることになる。

そのためこの方法を実装するには、これをきっかけも忘れるくらいに習慣化する必要がある。つまり「一生懸命その日のタスクをやって、休憩がてらに自分の好きなことをする」ことを自然にできた時に限り、観たい夢、というよりはいい夢を見られるということだ。

結論としては、いい夢を観るには「その日を頑張る」ことが肝要なようだ。

いい夢を観ると、次の日はいい気分で過ごすこともできよう。

日常に閉塞感を感じる人は、1日だけでもがむしゃらに何かに頑張ってみると、夢から新たな気持ちのプレゼントが贈られるかもしれない。