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没個性を称えよ、個性を解放せよ

ベッドに鎮座する人体風の奇怪なオブジェの落書き

スマホ生活

2か月もある冗長な春休みに入ったからか、気付けばずっとスマホに向かってn時間......みたいなことが多くなってきた。まだ問題に思う程度には生産性への志向がある。

スマホ生活も極めればそれはある種の徳にもなるとは思うが(ニーチェが徳を一つ持つことの良さを述べていた気がするが不勉強なので覚えていない)、個人的に電子媒体の画面に熱中していて何か得られた経験が少ないのできっぱりと離れる時間は作りたい。

話が逸れたのでここで戻る。思えばスマホが普及したのは私が高校1年になった時だった。私の一つ上の代でスマートホンが出現し、私の代で普及した。私の代ではLINEが息づき始め、私の一つ下の代で普及した。私の一つ下の代でTwitterが息づき始め、もう一つ下の代で普及した......

振り返ってみると(私の周りだけかもしれないが)私が高校時代を過ごした3年は、ハードとしての電子機器は前提視されるようになり、順次そのソフトが普及していくという、中々に興味深い時間だったようだ。

私の代と入れ違いに高校に入学した代は、スマホの存在は前提の上、LINE・Twitterは社会生活のデフォである世界で高校生活を送っているのだ。この3年下の少年たちのTwitterを覗いてみると、私たちが初めてTwitterをインストールした時とはかなり異なる文化の下にそれを利用していることがわかり、ちょっとびっくりする。昔はLINEウインドランナーが大流行したんだよと言っても多分信じてくれないだろう。

たった3年生きる時間が違うだけで世界の見え方も違ってくるのが現代というものなんだろう。ムーアの法則に従うなら、技術の平均変化率は3年間でも大きい値になるはずだから仕方ない。

しっかしこの勢いだと私の中1の従弟が高1になる時、彼に見えているものを絶対私は認識できない気がする。この間遊びに行った時、暇なとき何してるか聞いたら「Youtubeでyoutuber観てる」って言ったしそもそも自分用のスマホを中学生が持ってたこと自体信じられなかった。

彼が高校を卒業する時、彼からすれば私はおばさんおっさん相当の世界認識を持っているんだろうなあ。うーん。