没個性を称えよ、個性を解放せよ

ベッドに鎮座する人体風の奇怪なオブジェの落書き

ロシアンマインド

春休みに入ってからというもの、なぜか1回生で学んだ内容を復習したい欲に駆られ、毎日なにかしら教科書を読んだり文字を書いたりしている。昨日は心理学を復習した。今日はロシア語を復習した。

中学生のころから「ロシア」が好きだ。行ったことはないのだが、その言語・文化に惹かれる。思えばそのきっかけは「とある魔術の禁書目録」に登場するロシア正教の魔術師・ミーシャ=クロイツェフだったかもしれないし、偶々家に置いてあった「まんがで読破」シリーズの「罪と罰」だったかもしれない。

 (ミーシャ=クロイツェフが初登場する巻)

罪と罰 (まんがで読破)

罪と罰 (まんがで読破)

 

 (小学生はこれを読め)

 

まあきっかけはどうでもよく、兎角私は漠然とロシアに興味があったわけで、それもあってか大学はロシア語を二外として学べる京都大学に入学した。とうぜんロシア語を履修している。

ロシアの何が私にとって魅力的なのかを考えてもすぐには浮かばないのだが、なんとなく思い当たるのはロシアの精神かもしれない。ロシアの精神を日本語で表せる人と言えば、誰と言ってもやはり米原万里だ。彼女は幼少期をソビエト連邦で過ごしのちに日本に帰国し翻訳家・エッセイストとして活躍した。

 

嘘つきアーニャの真っ赤な真実 (角川文庫)

嘘つきアーニャの真っ赤な真実 (角川文庫)

 

 

彼女を通してわかるロシアの精神は、いわば「斜めに構えたリアリスト」だと思う。それは、現実に余分な解釈を与えないものの、多少の皮肉やユーモアの視線を持ちながら生きる姿勢だ。

日本では「現実は楽しいもの」という喧伝がしばしばなされている。それはメディアが与える生活像や、いわゆる「幸せな生活」と呼ばれているものの像を考えれば明らかだ。しかし私はこういうものをあまり消化できない気質で、どうしても現実の「楽しくない」側面の方を優先的に見てしまう。

もしも実際が前に書いた通りなら、ロシアの精神は「楽しくないもの」にさえ「楽しくないなりの面白さ」を見出すことができる。それこそ、私がロシアに惹かれる所であり、私の生存にも必要な物なのだ。クソツマンネー日々を楽しく認知するには私はある言い方をすればロシア人にならなければいけない。

 

だから今夜もプーシキンの詩を書き写している。意味は、まだわからない。